敗戦から2年が経過した昭和22年。既に新憲法が公布され、公職追放が実施され、極東国際軍事裁判が開廷され、 さらに2.1ゼネストがGHQの命令により中止させられました。そのような戦後の騒然としたその激動の中でも、 小岩地区のOBや現役の明大生が集まり、先輩、後輩の絆を強く築いていましたが、より一層、 明大校友の結束を図り、地域のためになる事をしようと、深山、浅見、篠原、市村、岡の各氏等が発起人となり 「小岩明大会」を設立し、初代会長に大畑辰治氏を迎え、その活動を開始しました。
その後、小岩地区だけでなく、江戸川区内全域を含めた江戸川区支部として活動して欲しいとの 校友会本部からの強い要請に応え、昭和29年、極東国際軍事裁判の日本側弁護団長を務められた 鵜沢総明総長をお迎えし、江戸川区内の校友及びその家族等500人ほどの参加を得て発会式を開催し、 「小岩明大会」は新たに「明治大学校友会江戸川区支部」としてスタートしました。
昭和59年になると大畑辰治支部長は高齢のため引退され、後任に川野安道氏が2代目支部長に就任されました。 川野支部長は支部員の名簿を整備し、支部運営の組織強化に尽くされました。翌年の昭和60年6月7日に 島田正郎総長をお迎えし、170人の支部校友の参加を得て、江戸川区民センター・グリーンパレスにおきまして 新体制での総会を開催しました。公務多忙のため川野支部長が退任された後、 平成5年に白子英城氏が3代目支部長に就任しました。
白子支部長は川野前支部長の築き上げた支部運営を踏襲しつつ、新たに明治大学マンドリン倶楽部による 「感動と安らぎの夕べ」のチャリティーコンサートをスタートさせました。このチャリティーコンサートは これを江戸川区支部の特別総会と位置づけ、3年に一回開催することとしました。
第1回コンサートを平成12年7月8日に当時の江戸川区総合区民ホールで開催しました。第2回目は 「古賀政男生誕100周年」の平成15年5月17日に開催され、前年末にレコード大賞に輝き、NHK紅白歌合戦に 初出場された夏川りみさんをスペシャルゲストにお迎えしました。第3回は平成18年5月13日に人気沸騰中の 夏川りみさんを再度お迎えする事ができ、収容人員の多い江戸川区総合文化センター大ホールを満席にして 開催しました。第4回は平成21年5月16日タワーホール船堀大ホールで開催し、明治大学マンドリン倶楽部と 明治大学応援団の吹奏楽部とバトンチアリーディング部との初めてのコラボレーションを敢行し、 大好評裏に終了しました。
皆様ご承知の通り、明治大学校友会は平成16年度にその会則を大きく改訂し、組織も変更しました。 これに伴い、我々の江戸川区支部は「東京都東部支部江戸川区地域支部」と名称を変更し、 東京都東部支部の傘下に組織されています。
役 職 | 氏 名 | 卒業年 | 学部 |
---|---|---|---|
支部長 | 小林司 | (昭和57年商) | 新任 |
副支部長 | 田中稔 | (昭和40年政経) | 留任 |
副支部長 | 星名登 | (昭和44年経営) | 留任 |
監査委員 | 杉田登三 | (昭和37年法) | 留任 |
監査委員 | 北田幹雄 | (昭和52年商) | 留任 |
幹事長 | 東海林信宏 | (昭和60年商) | 新任 |
会計 | 佐々木義浩 | (平成15年経営) | 新任 |
副幹事長 | 阿部兼一 | (平成10年法) | 新任 |
副幹事長 | 熊川貴之 | (平成26年経営) | 新任 |
常任幹事 | 矢野孝治 | (昭和42年商) | 留任 |
常任幹事 | 河内勝士 | (昭和44年工) | 留任 |
常任幹事 | 高梨勇三 | (昭和46年政経) | 留任 |
常任幹事 | 片岡文和 | (平成03年法) | 留任 |
常任幹事 | 櫻井勝也 | (平成11年政経) | 新任 |
顧問 | 白子英城 | (昭和40年商) | 留任 |
顧問 | 金子正司 | (昭和38年商) | 留任 |
顧問 | 西野幸雄 | (昭和47年法) | 留任 |
顧問 | 近藤勝之 | (昭和52年商) | 新任 |
【参考】江戸川区地域支部会則抜粋
(選任)
第8条 地域支部長、地域副支部長及び地域支部監査委員は地域支部会員のうちから総会で選任する。
2 地域支部幹事長は地域支部長が地域支部会員のうちから指名し、総会の承認を得るものとする。
3 地域支部副幹事長及び地域支部常任幹事及び地域支部会計幹事は地域支部長が地域支部会員のうちから指名し、総会に報告するものとする。尚、本項の役員は兼務を妨げない。
(任期)
第9条 地域支部役員の任期は3年とし就任後3回目に開催する定時総会終結の時までとする。